過去は変えられるのかもしれない。久々に実家へ帰りました。

2017-12-04 21:58:47

久々に静岡・富士の実家へ1泊2日で帰ってきました。

 

昨日は高校のバレー部同期の結婚式へ。

変わらない皆の笑顔、お世話になった先生の笑顔・・・これまで自分を作ってきてくれた存在の大切さを改めて感じながら、それでも皆ママになったり、人生の転機を迎えたり、変わりゆく時間の流れになんとも言えない感慨深さを感じたり。

(ちひろ、本当におめでとう!これからも末長くお幸せに。)

 

 

そして相変わらず実家にはのんびりとした空気が流れていて、なんだかもう、東京にいる自分が幻なのではないかと思えるくらい笑、こたつという魔の空間?に囚われて一瞬で幼い頃の自分に引き戻される。

 

実家に帰る前に母に、サロンに飾る木の実や緑が欲しいんだけど良いお店ない?と話をしていたら、父と週末にわざわざ近くの自然公園へ行き、こんなに収穫してきたとのこと。(獲りすぎ、笑。)

赤・白・緑・・・クリスマス、年末年始を彩る植物たちをたくさん持って帰ってきたので、早速明日の朝サロンの飾り付けをしようと思います。

お皿の上だけではなくて、器、テーブルコーディネート、空間・・・日々を彩るセンスや感性も、これからさらに磨いていきたいな。

 

 

そして過去の記憶や感覚が次々と蘇る中で、ふと感じたこと。
ずっとずっと、自分にないものばかりを求めて苦しくなっていた私だったけれど、本当は・・・全てあったんだな。守られていたんだな。家族や周りの人から、たくさんのものをもらっていたんだな。

ただ昔の私はそれに気付けていなかっただけ。
受け取れていなかっただけ。
”過去は変えられない”というけれど。
でも正確には”変えられない”、ではなくて、本当はいくらでも後から書き換えることができるのだと思う。

すなわち、起きた出来事自体は変えられないのだけれど、でもそれにどんな意味づけをするか、捉え方をするかは変えられる。でもそれって。実は”過去は変えられる”ことに等しいんじゃないのかな。

 

そんな考えが、ふと頭の中に降りてきた。

 

 

なんだか照れくささと切なさを感じる父と母と一緒に食べる朝ごはん。
昔からこの感覚が、なんとも苦手である。でも本当は、それは温かく懐かしいものであることを、頭の片隅では気づいている。

自分の内面の変化を感じ、いろいろな想いが交錯する久々の実家時間。
そして・・・ただいま東京、さあまた大きく息吸って前に進んでいこうか。
2017年もあと少し。今週も笑顔で駆け抜けていきましょう。

 

 

(富士は日本一の山。きっとこれまでも、これからも、私たちを見守ってくれる。)

 

 

 

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